ファッション・コリジョン・イクエイション

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日々刻々と変化していく僕らを取り巻く情勢。この世の中に於いては『変わっていく』という事だけが唯一変わらずに在り続ける。

流行りのファッション。それもまた例に洩れず、常に移ろい続ける。残酷なほどの速度で展開される諸行無常がそこにある。



数ヶ月前の話です。

日頃乗り慣れた電車に揺られている中、向かいの席に腰掛けた若い女性。彼女がお召しになられていたのは花柄の、タイツ?レギンス?モモヒキ?実態が何なのかは良く分からないので便宜上ここでは『花タイツ』とさせて頂くが、その花タイツを見た私は、

「オバチャンみたいだな」

と頭の中で瞬時にそう評価した。

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(こういうやつね)

『花タイツ=オバチャン』という方程式が何故浮かんだのか、それを言葉で表現するのは難しい。理屈ではない。そう思うからそう思った、なんて陳腐なトートロジーだけれど、しかしそうとしか言えない。純度百パーセント混じりっ気ナシ、私の本音の一番搾り。

そしてそれを皮切りに、その後すれ違う女性が悉く花タイツを装備している事に私は驚いた。一度意識しだすとそればかりが目に付くようになるというが、それにしたって些か多過ぎやしないか。

「何だコレ、一体何が起きてるんだ…?この界隈の最強装備か…?皆その町で売ってる最強装備整えてから次に進むタイプか…?どうのつるぎは高ェぞ…?」

オバチャンタイツに掻き乱される私のココロ。

「花タイツの何が悪いってのよ!?アァー!?じゅざけんじゃないわよ!」

ま、待て。落ち着け。分かった、済まない、謝る。鎮まれ、乙事主様、鎮まり給え。いやー参った参った。エボシタタラの女の勇ましい事よ。分かってます。私がどんな感想を抱こうと、そんなこた知ったこっちゃないですよね。

ただこれだけは覚えておいて欲しい。その花タイツを見るにつけ、『オバチャン・インプレッション』を抱く者が、少なくとも此所に一人は居るという、その事実を。もしかしたら、私以外にもそう思う者がまだまだ居るかも知れない。そんな僕らの好意のソレとは異なる視線を受け止める覚悟、果たして本当にお持ちでしょうか。

持論だけれど、ファッションというものは凡そニ種類に大別出来る。周りにオシャレに思われたい、異性の目に好意的に映りたい、という他者ありきのもの。他人の目なんて知ったこっちゃねえ、ただ自分の個性を爆発させたい、という自己表現のもの。

そして前者にカテゴライズされる人達は導き出すのだ。オシャレに思われたい、好意的に映りたい、そのための近道。流行ってるのをチョイスしておけば間違いないよね!というアンサーを。───しかし、時にそれは大きなミステイク。

「な、何でよ!流行ってるってことは、とどのつまり、それが良いモノだからでしょ!」

概ね正しい。が、必ずしもそうであるとは限らない。何故なら、流行に合理性は要らないからだ。肝心なのは最初の一歩だけ。『どうやらコレが流行っているらしい』という、その刷り込みさえクリア出来れば、水が低きに流れるが如し、後は黙っていても勝手に拡がる。例えば声のデカイ奴が吹聴するだけで、一定の効果を挙げるだろう。長いものには巻かれろ、そんな諺があるように、古来より我々のメンタリティはそういう風に出来ているのだ。

「キミは着ないの?みんな着てるけど」

日本人なら少なからず持っているであろう、そんな心の弱い部分。そこにダイレクトアタックをブチカマしてくるプリミティブな同調圧力。軽佻浮薄で粗野な恫喝。しかしその訴求力は、存外に高い。

「じゃあ、私も…」

結果として迎合。主体性なき価値判断の連鎖的集合体、それこそが流行の正体なのである。



しかしそんな流行に流され易い僕らであっても、ひとたびアストルティアへと足を踏み入れたならば、その考え方は一変する。先に大別した二種類のうち、後者───個性の発露に重きを置く人が激増するのだ。

ディスプレイの前に鎮座する肉体を解脱し、僕らはアストルティアに生きる仮初めの身体に憑依する。そこでは種族や性別などの大きなベースの違いこそあれど、基本的なルックスに殆ど差は無くなる。デブのオガ子はいないし、スラッとした八頭身のスタイリッシュなドワ夫もいない。ブサイクなウェディ男も…少しだけ心当たりがあるが、まあ基本的にはいない。

そんな世界に於いて、『自分』というアイデンティティーを確立する方法。

独創的なチャットスキル。
他の追随を許さない超高性能な装備群。
幾多の戦線で研ぎ澄まされたPS。

いくつかあるが、とは言え現実のそれと比べれば非常に限られた選択肢の中、服飾こそが最も手軽で且つ効果的に自分をプロデュースできるポイントであるのは論を俟たない。故に僕らは、自分だけのコーディネイトを生み出すことに腐心するのだ。

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(愛の妖精)

それを邪魔するものは何も無い。現実世界であれば、玄関開けたらニ分で豚箱、なんて事になりかねないリビドー全開のファッションも、ここアストルティアならば許される。何という懐の広さよ。

アイデアを振り絞り、オリジナリティを追及し、試行錯誤を重ねる───結果漸く辿り着いた地平、その景色はなかなかに心地良い。自分だけの山、自分だけの頂。確かな『自分』をそこに感じる事、個性を重んじる僕らにとっては、それが何よりも重要なのだ。

しかし、時として現実は非情なもので、自分だけの筈の場所に、自分ではない誰かが立っている。そんなことも、無くは無い。

「それは…その格好は、おれだけのハズだろう!?なのに、どうして!?」

痛切な心のシャウト。コーディネイトは言うなればパターンでしかなく、その組み合わせは膨大にあれど、無限ではないのだ。

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ベストドレッサーコンテスト、男性の部、決勝。

同じコンセプトにして同じコンテストにエントリーし、百名という限られた枠内に選ばれしおしゃれイズム達の中、奇しくも隣り合わせてしまった両雄。オンリーワンを目指した先で巡り会った、自分と酷似した自分ではない相手。『お地蔵さん=自分』という方程式が、音を立てて瓦解した瞬間。こんな悲しい出逢いがあっていいのか。私は画面の前で静かに涙した。

決勝の部の締め切りは7月6日。残すところあと二日。優勝の栄冠は誰の手に。二人のお地蔵さんの行く末は。陰ながら注目させて頂く所存である。



ここまでダラダラと述べてきた事は、あくまで私の主観であり、一部の側面でしかない。人と同じであることに喜びを感じる人も居るだろうし、個人としてのアイデンティティーではなく、集団としてのアイデンティティーを見出す人達もいる。どれもが正解で、どれもが尊い。みんな違って、みんないい。だから世界は面白い。

全てのファッション戦士達に敬意を込めて。

おわり。
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