五月の恋~第一話~

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アストルティア昔話 ~五月の恋~

第一話




「うわああああ。さ、さつじんきだあっ」

長閑な平原に男の叫び声が響き亘った。一人の男が地面にへたりこんでいる。男の視線三十メートル先には、巨大な斧を持った大男が立っていた。彼の頭上に『さつじんき』という文字が見てとれる。人間も動物もモンスターも、皆等しく頭上に名前が浮かび上がるのがこの世界の理だ。平時は白文字だが、かなりの深手を負うと黄色、瀕死で橙色、死亡すると赤色に変わる。当たり前の現象に疑問を抱く者はいない。

大男───さつじんきは、尻餅をついた男にゆっくりと近づいていく。その姿は人間に酷似していたが、しかし明らかに人間ではなかった。三メートルはあろうかという巨躯にも関わらず、あまりに肥大した筋肉の所為でずんぐりむっくりな印象を受ける。筋肉の束がみっちりと、幾重にも重なって構成されているその全身は、鋼に匹敵する硬度を備えており、生半可な武器では傷ひとつ付けられないだろう。顔全体は血塗れのマスクで覆い隠されており、表情を読み取ることはできない。二つだけ空いた穴から覗く双眸はギンと見開かれ、人ならざる者特有の狂気を放っている。

「安心シロ、何モシらイ…」

低く、くぐもった声。鼻が詰まっているのか、ナ行の発音が聞き取りにくい。いや、マスクに凹凸が無いことからすると、そもそも鼻という器官が存在していないのか。マスクと一体化したマントが、風を受けてはためいている。大木の幹のように太い腕の先には、赤黒く錆び付いた斧が握られている。何人がこの凶器の犠牲となったのか。所々に刃毀れが見受けられるが、まだまだ切れ味は健在のようだ。

「何モシらイ…嘘ジャらイ。ダカラ、逃ゲらクテイイゾ」

さつじんきとの距離が十メートルにまで縮まったところで漸く男は立ち上がり、逃げだそうと慌てて背を向けた。

「ひっ、わっ、わあああああっ。たっ、たすけブッ」

瞬間、一気に距離をゼロまで詰めたさつじんきが、容赦なく斧を男の脳天に叩き込んだ。頭を割られた男は、口をぱくぱくさせながらそのままうつ伏せに倒れた。血溜まりが広がっていく。

男の頭上に浮かぶ『チェルペ』という名前は赤い色になっていた。浴びた返り血を拭うこともせず、さつじんきはその場を後にした。



さつじんきは人間が好きだった。手を取り合い、力を合わせ、切磋琢磨しながら成長していく、その姿を尊いと思った。例えどんな不幸に見舞われたとしても、立ち上がり、乗り越えていく、その姿を美しいと思った。

さつじんきは人間が好きだった。人間と友達になれたら、自分自身も人間になれたら───そんな馬鹿げた願望さえ抱いてしまう程に。

しかし当然ながら、それは叶う筈もないことだった。人々はさつじんきの姿を見るや否や、怯え、叫び、逃げ出していく。無理もないことだ。その頭上には『さつじんき』の文字が踊っているのだから。中には武器を手に挑んでくる者もいた。彼らの勇気を無謀と吐き捨てるのは些か酷か。何れにせよ末路は同じだ。その誰も彼もを、さつじんきは無感情に断ち割ってきた。いや、実際はそこに僅かばかりの悲哀と諦念が乗せられていたことに、彼自身は気付いていただろうか。

さつじんきは人間を殺さなければならない。何故ならば、彼は『殺人鬼』なのだから。殺人だけが彼のレーゾンデートルであり、この世界での役割であり、即ち彼にとって、生きることとは殺すことだった。

どうして自分はさつじんきなのか。大好きな人間に忌み嫌われ、そして殺す。ただそれだけの生。倒錯した存在として生まれた運命を呪いながら、さつじんきは今日も標的を求め歩く。



「天にまします我らが神よ。チェルペの冥福を祈りたまえ。アーメン」

しとしとと雨の降る中、神父が黙祷を捧げる。
村の小さな教会、その裏の墓地にて、葬儀はしめやかに行なわれた。チェルペの亡骸を納めた棺が地面へと埋められたとき、それまで気丈に涙を堪えていた彼の妻は、堰を切ったように泣き崩れた。この光景を見るのも、これで何度目だろうか。そして恐らく、この先も幾度と見ることになるのだろう。絶望と同義の確信。真綿で首を締められる思いだ。

「チェルペの遺体はここから西に約二キロの場所で見つかった。妖精の綿花を拾いに出たところを襲われたようだ。死体の状態から、また例のさつじんきの仕業とみて間違いないだろう」

葬儀が終わった後、村役員たちで集まっての話し合いが行われた。村長の顔には疲労と憔悴の色が見てとれる。四十代半ばと思われるが、髪は完全な白髪になっていた。つい一年前までは、健康的な黒髪だったというのに。

「くそっ。ここ一ヶ月でもう七人目だぞ」

「リエッコ達は、明日にも村を発つそうだ」

「そうか…状況が状況だ、止められんな…。道中襲われるようなことがなければいいが」

人口五百人程度のこの小さな村は、目下さつじんきの脅威に晒されている。

最初の犠牲者が出てから八ヶ月。これまでに計二十三人の村民が惨殺されていた。今のところ全て村の外での被害であり、村内にまで侵入してきた、という報告は上がってきていない。まだ村の存在は割れていないのか、あるいはとうに知りつつも弄ばれているのか。いつ自分が殺されるかもしれない、という恐怖から、村を去る者も増えた。廃村という未来が村長の脳裏を掠める。そしてそれは決して遠いことではないのだろう、とも。

何故このような目に。日々慎ましく、一生懸命に生きてきた。私たちが何をしたというのか。

今から二十年前。始めはたったの八人だった。
木を斬り、家を建て、畑を耕し、少しずつ村の形に成っていった。やがて移住してくる者が現れ、また木を斬り、家を建てた。豊かな土壌で育った野菜の美味しさは格別で、都会の料理ギルドが契約を結びたいと申し出てきたときは、村民総出で喜んだ。

村長にとって、村は子供も同然であった。いや、村長だけではない。村民全員が自分たちの村を愛し、誇りに思っていた。その村がさつじんきの標的となり、存亡の危機に瀕している現実は、何よりも耐え難い辛苦であった。ただただ、平穏な毎日を過ごしたい。そんなささやかな願いすら、遥か遠き夢物語のように思える。

窓の外では、まだ雨が降り続いている。この先数日はこんな調子だという。この雨の中でも、グラベルは今日も見回りをしているのだろうか。風邪など引かなければいいが。

止まない雨はない、なんて歌う詩人もいたな。村長に出来ることは、雨が一日も早く止むように祈ること、ただそれだけだった。尤も、その時に村が存在しているかどうかは別の話ではあるが。

つづく。
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